【訃報】六代目山口組「100人相手に8人で」伝説の武闘派が死去

石田章六会長

10月23日に死去・石田章六会長「柳川組四天王の一人として、山口組の全国進攻に尽力した人物」

山口組をここまで大きくした柳川組の存在とは?

六代目山口組「100人相手に8人で」伝説の武闘派が死去

  • 10月23日、六代目山口組顧問で章友会・石田章六会長(享年83)が大阪市内の病院で死去した。
  • 石田顧問は六代目山口組の最古参。三代目山口組の直参だった柳川組四天王の一人として、山口組の全国進攻に尽力した。この柳川組は1958年当時、大阪での縄張り争いで、100人を相手にわずか8人が日本刀を手に殴り込みをかけたことで名を上げ、「殺しの軍団」として恐れられた。
  • 都内在住の暴力団関係者はこう話す。「ヤクザ界で柳川組といえば、それはすごい組織だった。山口組がこれほど大きくなったのは、柳川組のおかげ。我々も『柳川とは喧嘩をするな。みなやられるから』といわれてきた。だから、柳川組はヤクザにとって憧れの的でもあった。その四天王の一人とされた石田顧問を信奉する者は多かった」

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石田章六 – Wikipedia


石田 章六(いしだ しょうろく)こと朴泰俊(ぼく たいしゅん、パク テチュン、1932年10月30日 – 2016年10月23日)は、ヤクザ、指定暴力団・六代目山口組顧問、章友会会長、旧柳川組舎弟。 いわゆる「柳川組四天王」の一人で、柳川組の多くの幹部同様在日朝鮮人。

概要

柳川組初代組長・柳川次郎が柳川組を正式に発足させる以前からの幹部級で、1964年に谷川康太郎が2代目組長に就任すると、谷川の舎弟に直った。 逮捕・勾留された柳川と谷川が1969年4月に三代目山口組組長・田岡一雄に無断で柳川組を解散させると、同年7月、野澤組組長・野澤儀太郎、金田組組長・金田三俊、藤原組組長・藤原定太郎とともに山口組直参に昇格した。
1984年における四代目山口組の発足に伴い舎弟に直り、1989年、五代目山口組発足に伴い舎弟頭補佐に就任して執行部入りした。2005年には六代目山口組の発足に伴い同組顧問に就任。2016年10月逝去。

みんなの反応

・関西で黒塗りベンツは皆ヤクザの時代やね

昔のヤクザはヤバかった
今のヤクザはショボすぎる

・ヤクザを称賛するような記事だな…

なに美談にしてるの?
反社会活動の幇助にあたるんじゃないの?
女性自身はヤクザとつながりあるの?

法律を犯すのは男の生き様に反しています。

・美化しないように。
みんなも記事に騙されないように。

・もうそんな簡単な時代じゃない。893の時代は終わったよ。

確かにヤクザ屋さんは怖いし、強い人も居るかもしれないけど、武勇伝とか通称◯◯の◯みたいなのは誰が流してるんだろうって思う。???

・これだけ世の中で暴力団を排除しようという流れの中でこの記事はいただけないですね。美化している部分は除き、亡くなったので抗争が激化する恐れがある。ぐらいで十分

・100人相手に8人は凄いかも知れないが、素手の相手に武装した状態で殴り込んだというなら恥ずかしい話だ。

そもそも、たかがやくざが死んだくらいのことで、こんなにも取り上げられなければいけないんだ?そんな下らないことよりも、他にないのか?

・100人がマジで迎え討ったら8人ではどうしょうもないよ。勝てるわけない。

・今は軽自動車乗ってる人のが怖い。

・少なくともヤクザの生き方が男の生き方だというのはおかしすぎる。

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美談にしようとしても…別に何もしてもらってないしむしろ社会的には迷惑だしな(´・ω・`)

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